文章表現・日本語学

櫻井 芽衣子 講師

Laboratory

研究室紹介

現代日本語において「ラレル」が付く文は、自発・受身・可能・尊敬に解釈されます。これらの解釈が成立する際の条件を探っています。
自発・受身に関しては、動詞で表される動作をする人物や、動詞が指す時点が条件となって、解釈が決定します。

A.私には、太郎が犯人だと思われる。
B.僕があの時その場所にいたことを、警察に伝えただって!?それでは、僕が犯人だと思われる!

Aの文は、話し手である「私」自身が「思う」という動作を行っていることを表す自発文です。レポートなどで、しばしば「~考えられる」「~判断される」のように用いられます。一方、Bの「思われる」は、動作を行う人物として、話し手である「僕」ではなく「警察」が想定されるでしょう。同じ「思われる」という動詞であっても、「思う」という動作をする人物によって異なる解釈がなされます。
また、Aは「思われる」と発言した時点で、「思う」という動作は成立しています。「思われる」が指すのは現在時点であるといえます。では、Bの「思われる」はどうでしょうか。こちらはまだ、「警察が僕のことを犯人だと思う」可能性に言及しているにすぎず、「警察」の「思う」という動作が成立しているわけではありません。Bの「思う」は未来のことを指しています。動作をする人物が誰であるか、ということ同様、動詞が指す時点がいつか、ということもまた、解釈成立の条件です。
悲しくて自然と涙が出てくることを「泣ける」、面白くて思わず笑ってしまうことを「笑える」と表現することがありますね。どちらの表現も可能動詞の形です。可能動詞もまた「ラレル」が付く自発文のように、自然な動きの発生を表すことがあります。さらに、私が生まれ育った愛知県尾張地方では、若者が「ムカつく」と言うような場面で、「怒(おこ)れる」と言うことがあります。こちらも形は可能動詞です。「ラレル」が付く形ではありませんが、自発と可能が同じ形で表されることも、詳細な解釈成立条件を探る手掛かりになると考えています。