山中 章子 准教授
Laboratory
私はアメリカ文学、とくに20世紀のアメリカ詩を研究しています。なぜ私がアメリカの現代詩に興味を持ったのか、きっかけを紹介するところから始めましょう。
私は東京近郊のいわゆるベッドタウン、千葉県の郊外住宅地の出身です。ご近所もみんな県外からの移住者で地域の歴史も文化も方言もない、「地元色」のない環境で生まれ育ちました。さほど利便性が高いわけでもなく、刺激的な都会でもなく、アウトドア活動が楽しめるような自然豊かな田舎でもない、中途半端に何もない場所です。その「何もなさ」と自分の個性のなさが文学に、特にアメリカ文学に結び付きました。
アメリカ合衆国は「移民の国」だと言われています(本当は先住民が何万年も前から住んでいましたが、文字を持ちこんだ西洋人の文明からカウントを始めるとこのような表現になるわけです)。出自の違う人々が共存するには、相手のことを知るのと同じくらい自分のアイデンティティが重要です。特にアメリカ大陸で生まれた世代は、移民第一世代である親たちとは違って、海の向こうの母国はありません。新しい場所で新しい価値観を持ち人生を築くため、自分のアイデンティティを模索する必要があり、だからこそ民主主義が発展したといえるでしょう。そういった人々の動きは、宗主国イギリスから独立したアメリカ合衆国そのもののアイデンティティ探しと重なります。
文学はそういった市井の人々の暮らしを映します。歴史の教科書に載っているものの多くは権力の中枢にある政治の記録ですが、文学は歴史の表舞台には立たない多様な民衆の声を掬い上げます。ハリウッド映画が代表する勧善懲悪の二元論がもてはやされる一方、文学作品では白黒つけられない迷いや葛藤が表現されます。特に詩は、小説のようにストーリーを追うことなく、揺らぎそのものを表現するのに適した形式といえるでしょう。一見敷居が高そうですが、捉えがたいものを言語化した作品は読者に力強く訴えかけます。
私はこれまでジョン・ベリマン(1914-72)という詩人の作品を中心に研究してきました。彼は理性ではコントロールしきれない無意識の衝動に悩まされながら、正気と狂気のはざまで自分のアイデンティティを模索し続けました。そしてそれを、白人アメリカ人男性の視点から、アメリカ社会のひずみと重ね合わせた悲喜劇にしました。彼の作品には、白か黒かという解決策などないにも関わらず、思わず正解を求めてしまう現代人が、白黒の呪縛から逃れる一つの術が書かれています。
現在興味を持っているのは、メキシコとテキサスの国境沿いで生まれ育った女性詩人グロリア・アンサルドゥーア(1942-2004)です。白人男性であるベリマンとは全く違うアプローチで書かれたアメリカを読み解いていきたいと考えています。
日本工業大学の授業では、基礎英語、実用英語、カナダ研修を主に担当しています。英語が苦手な人も、まずは思い切って英語であいさつしてみましょう!いつもとは違う開放的な雰囲気で、きっと楽しくなるはずです。英語が使えると、最新の情報を自分で手に入れることができますし仕事の幅も広がります。エンジニアを目指す皆さん、工学の知識・技術に英語が加わるだけで、世界中で活躍することができます。志高く挑戦してください。
夏のカナダ研修(2016年夏)